小学校3年生のころの作文など

「やった 乗れたよ 一輪車」  

 わたしは、今、一輪車が少し乗れるようになったので、とても、うれしいです。でも、ほんの少ししか乗れないし、できる時は、1/4ぐらいです。でも、できるととってもうれしいので、あきらめないで、やっています。とくに、はじめて乗れた時は、すっごくうれしくて、家に帰ったらすぐに、おかあさんに、「今日ね、学校で、一輪車に乗れたんだよ。」と、ちょっと早口で言いました。そうしたら、「よかったね。やっと乗れたんだ。」と、おかあさんが、言ってくれたので、とてもうれしかったです。自分でも、よくできたな、がんばったな、と思っていました。それから体育の日には、ちょっとだけきんちょうしていました。

 これからもあきらめずに、がんばりたいです。

 

一輪車
一輪車
秦野にて
秦野にて

「わたしのおばあちゃん」 

(ママのママ)

 わたしのおばあちゃんは京とに

 いる。

 おばあちゃんは、おりょうりが

  すき。

 わたしが京とにいったとき、

  おだんごをつくった。

 おしえかたもわかりやすい。

 だからおばあちゃん、大すき

 

 

  

 

 

「わたしのおじいちゃん」 (パパのパパ)

 わたしのおじいちゃんは、つりすきみたい。

 つりしてるとこみたことない。

 でも、

 すいぞくかんにいったとき、「このおっきい魚をつったんだよ」と、

 いったから、つりすきなんだな。

 とくいなんだな。

 

 

 

「母の日」    5/11

 

 母の日に、京とからきていたおばあちゃんとおじいちゃんが

 帰ってしまいました。 二人をおくっていくときに町田によっ

 て、お母さんとおばちゃんが おみあげを 買っている間

 入口にあったいすにすわってまっている間に お父さんとわ

 たしでちかくにあった花やさんにいって、お母さんとおばあちゃ

 んに、カーネーションを買いました。二人の買いものがおわる

 と、カーネーションを二人にあげました。二人が帰るのはかな

 しいけれども、カーネーションをあげれてよかったです。

 

 

 

詩織とマイロ
詩織とマイロ

 しおりちゃんとぼく                                                (4年生のころの作文)

 

ぼくはジャックラッセルテリアという種類の犬だ。

ぼくはだれかのひざの上にいる。

「ガチャ」という音がしたら、だれかが入って来た。これは女の子だ。ぼくをだいているのは、この子のお父さんだろう。女の子はぼくのことを見て、なでたりしてくれた。

そして、お父さんにいろいろしつ問している。女の子の名前は「しおりちゃん」というらしい。しおりちゃんは、お父さんのことを「パパ」と言っているので、ぼくもそうよぶことにした。

 しばらくして、二人の人が入ってきた。この二人もこの家の住人のようだ。そして、ぼくをそっちのけで話し始めた。ぼくは四人の話を聞いていた。そしてぼくも話の内ようがわかってきた。なんでもパパが勝手にぼくをもらってきたようだ。ちなみに二人の名前は、「ママ」と「そうちゃん」というらしい。しおりちゃんは、ぼくをかうのにさんせいしてくれている。でもママはぼくをかうのを一人反対している。けっして犬ぎらいというわけではないらしいが。だが、三対一でぼくを家でかいたい方が多かったのでしかたなくかうことになった。そして、しおりちゃんが以前から気になっていたぼくの名前を決めることになった。そしてみんなで意見をぶつけ合った。けっきょく、ぼくの名前はパパの意見で「マイロ」という名前になった。今まで「わんちゃん」としかよばれていなかったので、この名前はなかなか気にいっている。

こうして、やっとぼくはこの家の一員になれた。ぼくはあまり外に出ない。なぜかというと、ぼくはまだ散歩OKが出ていないからだ。でも、夏休みになって家族で旅行にいくことになった。もちろんぼくもいっしょに行く。どうやら、「京都」という所に行くらしい。しおりちゃんはとてもうきうきしている。

当日、しおりちゃんはめずらしく早起きした。どうやら「車」という乗物で行くらしい。パパが運転するらしい。ママだったら事故をするかもしれなかった。パパの運転する車は気持がいい。ぼくは車に乗るのは初めてだったが、よったりはしなかった。だが、しおりちゃんはよっていた。だから休けい所に行った。しおりちゃんはなんとか落ちついて、いすにすわりお茶を飲んでいた。でも、パパがお昼ご飯を買ってきて元気になった。よかったね。

おなかもいっぱいになって、また目的地へむかった。そして、何時間も乗ってやっとついたようだ。

京都の家には、しおりちゃんのいとこの家族とおじいちゃんおばあちゃんが住んでいた。二家族住んでいるだけあって、さすがにこの家は広かった。三階だてだったし、庭もあった。そしていろいろな動物もいた。その中に犬もいた。されはパピヨンの「ライム」だ。あいつは、ガサツなぼくとははちがい、きちっとしていた。だから、仲よくなれなかった。でも、しおりちゃんたちは、ライムをかわいがっていた。もちろんぼくも大人気だったからいいけど。

それからの京都のくらしはとっても楽しかった。帰りの車に乗る時も、少しさびしかった。帰りは行きよりこんでいたので、十二時間かかった。そうちゃんはぐうぐうねていたけど、しおりちゃんはほとんどねていなかった。おかしをいっぱい食べていたので行きとちがって元気だった。家についたのはもう十一時だった。

京都に行ってからは外にも出なくなったが、九月に入ってやっと散歩に行っていいようになった。ぼくは、とってもうれしかった。

初めての散歩は、うきうきした。しおりちゃんもうれしそうだ。なんて散歩は楽しいんだろう。いろいろな臭いがして、いろんな物があった。新しい首輪となわも買ってもらったし、この日はとってもいい日だった。

散歩ができるようになったので、パパがカエルのリュックを買ってくれた。するとしおりちゃんは、このリュックが気に入ったらしく、ぼくのことをずっと見ていた。ティッシュとビニールぶくろを入れて、名札に住所と名前を書いた。そしたらしおりちゃんが「これで迷子になっても大丈夫だね。」と、よろこんでいた。

春になり、しおりちゃんはもう四年生になった。お花見の季節だ。さっそく四人と一ぴきでお花見に行った。さくらがとってもきれいだ。しおりちゃんはさっそくわたあめを食べていた。ぼくもわけてもらおうとしたら、少しもくれなかった。でもパパがたこ焼きをくれたし、ぼくはかわいいからみんながなでてくれたりした。カエルリュックも大人気だった。お花見はとっても楽しかった。

今、しおりちゃんは十一才、あと少しで五年生になる。ぼくも6月になればもう二才だ。時間がたつのは早い。

昔とあまりかわらないで、ぼくは今も幸せだ。

 

                    

㊙  私の柿生小学校生活

まるひ
まるひ

転入

 

私は二年生の十月←ハンパ(^_^;) に柿生小学校に転入してきた。

そのころの私は、今より小心者だったから、とてもきんちょうした。

 

 

体育がいやだった。運動が苦手だったし、みんなと体育着がちがった。

ちょっとはずかしかったから。


給食

 

結局、牛乳を飲めるようにはならなかった。

給食って、なんであんなにカレーがでるの?と、ずっと思ってた。

グリンピ→スも....

私の大好きな鳥のからあげは、年に一回くらいしかでないような...。

一番よかったメニュ→は、鳥のからあげとメロンがでたとき。

 

 

 

 

 

休み時間

 

やっぱり、友達がいると、休み時間も楽しい。

友達って、いいもんだね。

 

 

 

 

 

日光

 

 

六年生の十二月に行った日光修学旅行。

寒いだろうと思っていたけど、そうでもなかった。

電車での移動時間も、夜も、スゴク楽しかった。

もっといたいと思った♪ 

 

 

八ヶ岳

 

にもつがたくさんあってたいへんだった。

みんなでお泊まりは初めてだったからきんちょうした。

自然がいっぱいあって、たくさんの体験をした。

 

連合運動会

朝練にもできるだけでるようにしてた。

しかし朝練はかこくだった。☼

三井グランドでの組体操の練習はグランドが

ぬれているからよごれるし、

ねっころがらなきゃダメだったから

いやだった。(´Д` ) xxxx

本番は、天気もよかったし組体操も

せいこうした。

 

 

 

卒業文集より

 

 連合運動会

 

 「連合運動会」というひびきには私もずいぶん

  前から聞きなれていました。

 毎年六年生が一生懸命練習しているのを見た事

  があります。

 でも、自分が出るのだと思うと少しきんちょうしました。

    「選手の人はもっときんちょうしてるんだろうな。」と思っていましたが、

 そうでもないようなので、すごいと思いました。

 等々力競技場はすごく大きくて 「こんな所でやるのか...。」と、うれし 

 かったです。私がやる組体操は最後のほうにやるので、ずっとまっていました。

 「じゃあ行きますよ~。」という声が聞こえました。

 競技場に入る時はそんなにきんちょうしなかったのですが、最初のふえの

 音が聞こえた時はドキドキしました。

 「マスト!!」 「灯台!!」 「いかり!!」 「みなと!!」

 「船と島!!」 「橋!!」

 今までの練習のせいかを出してめいっぱいやりました。

 連合運動会はとてもいい思い出になりました。

 

 

中学校のころの文章など

 「徒然草」   白鳥中学校卒業文集より

  私は、白鳥中学校という場所が大好きです。その中でも特に、テニスコートと

 ホールは大大大好きです。

  いつも部活で使っていたテニスコートには、ステキな思い出がいっっぱいつまっ      

 ています。三年間の部活動は本当に楽しかったです。私のテニスの腕はたしかに

 ...だったけど、それでもみんなで乱打したり小林さんと組んで試合したり、おも

 しろかったです。テニス部のみんなにはいっぱいいぢめられた気がするけど、それ

 もなんかおもしろかったです。そんな愉快な仲間達がいてくれたおかげで、私にと

 ってコートはすごく居心地の良い所でした。でも悲しいことに、この私にとって

 大切な場所に来年からプレハブが建ってしまうのだそうです。とても残念ですが、

 私はこの場所のことを忘れないと思います。

  ホールは、みんなが集まる場所だから好きでした。ここで私はいろんな友達と

 愛を育みました 私はなぜか全体学活が好きで、毎回実は何気に楽しみにしていま

 した。

 みんなに会えるのが嬉しかったんだと思います。

  今、卒業を目の前にして思うのは、

 白鳥中学校 ありがとう

 ということです。そして、白鳥中学校の友達や先生方にもありがとうと言いたい

 です。

  卒業するのはとても悲しいです。でも、これから高校生になって、(今の時点

 ではまだなれるかわからないけど)大人になっても、白鳥中学校で過ごした三年

 間を忘れないでいて、ずっと私の支えにしたいと思います。  おわり

 

 

 3-2 集合

 ①10年後の自分はどんな感じ??

  名字が変わってる!?

 ②もし願いがひとつだけ叶うなら?

  食べても太らない体になる。

 ③クラスメイトに一言!! 

  ばいばい

 

 

高校のころの文章など

沖縄に行ってきました   

(修学旅行文集より) 

D組 4班 詩織

 

  沖縄はとってもすてきな所でした。

  飛行機から降りるとそこは本物の南国

 でした。沖縄の皆さんはすごく親切で

  気候と同じくらいあったかい方々でした。

 海は本当に澄んでいたし、空は太陽の光、

  夜は星でいっぱいで信じられないくらい

 キレイでした。風も爽やかで気持ちよかったです。そんなすばらしい所で

 厚高のみんなものびのびとはしゃいでいて、私もかなり気分がよくて、

 ここはきっとパラダイスなんだなぁと思いました。これがひとつめの私の沖縄

 の印象等です。

  もうひとつ私が見て感じたのは国内で唯一地上戦が行われた場所なのだと

 いう沖縄のダークサイドです。私達はひめゆりの塔や平和記念公園などを

 訪れましたが、中でも私が一番戦争をリアルに感じたのはガマへ入ったとき

 でした。そこで私が話を聞いたり歴史を学んだりするだけではわからなかった

 戦争の姿を見、こわさ悲しさを覚えました。同時にこんな状態にまで人間を

 追い込む戦争を二度と繰り返してはいけないんだと改めて思いました。

 またサキマ美術館では現在の沖縄の実態を知りました。

 まだたくさんの米軍基地が沖縄だけに残っているのはもっと考えるべき問題

 だと思うし、これらが沖縄の人々にとって大きな戦争の傷跡なんだろうな、

 と思うといたたまれません。

 確かに重たい重たい沖縄の側面でしたが、ここで私達は目を背けずに今回の

 修学旅行で学んだことを生かし、状況を改善できるよう働きかけたり、後世

 に伝えたりしなくてはいけないのだと思います。

 今振り返ってみると、この3泊4日でいろんなことが分かったなぁと思います。

 みんなと一緒にいるだけで幸せになれるようです。

 みんな、いっぺーかなさんど♪♪

 

じいじばあばへ

 

ばあばとじいじがうちにきてからの二週間、すごく楽しかった!!

充実した日々を送ることができました、本当に。

少し前までのあたしは、何事もやる気がおきなくて、しんどくて、朝がくるのが嫌で、

ただ早く時間が経ってくれることを待つだけ、みたいな毎日を過ごしていました。

だんだん普通の生活が送れるようになってきたけど、それでもやっぱり調子がでなかったし、落ち込んだり不安になって沈み込んでしまうことが少なくなかった。

でも2人が来てから変わりました!

色々なことに対してポジティブに取り組めるようになったし、今日は何しようかなぁーってうきうきして考えられるようになった☆

お2人のおかげです☆★

そうちゃんやあたしやママパパのことを、応援しながら見守ってくれる目と愛情をいっぱい感じることができたから、がんばれるようになったんだと思います。

だからとても感謝しています!ありがとう!!

 

2人があたし達のことを思ってくれているのと同じくらいあたしも2人の幸せを願っているので、京都でも元気に楽しくお過ごしください♪

またねー♪

 

 

大学のころの文章など

『坊っちゃん』における女性観と現代の女性たち

教育学部国語国文学科一年 詩織

学籍番号 IE08E0214

 

 本稿では『坊っちゃん』の中での女性の捉われ方を分析・考察し、その結果と現代の女性たちの捉われ方を比較する。そこから『坊っちゃん』における女性観がどのようなものであるのか、さらには現代の女性たちの現状を明らかにすることを本稿の目的とする。

 この作品の主人公は無鉄砲で乱暴者だが正義感が強く正直者であり、日本人の特徴であるといえることなかれ主義がまかり通る世間に対して反抗し、自らの意見を貫き通す。そして物語のクライマックスでは職をなげうって悪党たちを成敗する。『坊っちゃん』は勧善懲悪をテーマとする物語である。

しかしこの主人公は、勧善懲悪を行う主人公像でありがちな、少しおっちょこちょいな正義の味方としてたんに書かれているだけではない。封建制からくる古い身分意識や、田舎者や教養のない者、女性などに対する差別意識を持った人間としても書かれている。

 坊っちゃんの女性に対する差別意識が表れている箇所は以下の点である。たとえば「色が白くって、芝居の真似をして女形になるのが好きだった」、「女のような性分」な自分の兄や、「女の様」「まるで男だか女だか分かりやしない」「御殿女中の生まれ変わりか何か」「どこまで女らしいんだか奥行きがわからない」赤シャツを軽蔑している。ここから、坊っちゃんは女性を男性よりも低い位置で捉えているということがわかる。

 次にマドンナに着目する。この物語は中学校内での山嵐と赤シャツの権力抗争を主軸として展開するが、その大元の原因となったのが彼女の存在である。というのも、彼女がうらなり君との婚約を破棄して赤シャツと関係を持つようになったのがことの発端だからである。つまり彼女はこの物語の構成において欠かすことのできない役割を担う、主要人物であることは間違いない。

 作中でマドンナがどのように描かれているかというと「ここらで・・・一番の別嬪さん」「俺は美人の形容などが出来る男でないから何も云えないが全く美人に違いない」と形容されており、噂話の対象になっている。現代と同じように若くて美しい女性は注目を浴びるようだ。しかしマドンナ本人が実際に物語に登場するのはたった一場面しかない。その場面でも主人公と彼女が直接何らかのコンタクトをとることはない。また、彼女が発言をする(「」でくくられるセリフを言う)場面はない。つまりほかの主要登場人物の山嵐や赤シャツや野だと違って、彼女の人格や、外見以外で主人公の目線から浮かび上がる人物像は描かれていないのだ。これはどういうことだろうか。

 この疑問点に対する答えを、構造主義的な理論を使って求める。構造主義の考え方では、婚姻を交換とみなす。女性を交換することで男同士あるいは家族同士の絆を確認しあったり深め合ったりするのである。女性の交換を行うことは社会のネットワークを成り立たせるための必要不可欠な要素なのだ。

社会において近親相姦や同性愛がタブーとされているが、その理由は女性を交換することで成り立つ社会の構造に反しているからであると説明できる。

 交換の媒体である宝物や貨幣(「価値」)は、人々を巻きこむ交換システムの力の象徴になっている。

媒体には、なにか使い途があったりしないほうがいい(『はじめての構造主義』講談社現代新書一九八八・五)。

 交換の媒体が女性である場合は、より美しく注目の的になる存在であるほど「価値」は高いだろう。

そして媒体として機能するためには「なにか使い途があったりしないほうがいい」とあるが、媒体が女性である場合でいうと、人間性や人格はさして問題ではないということだろう。よって「力の象徴」となるには「価値」の高いマドンナは、交換対象の範疇にいる存在なのだとわかる。

 赤シャツがマドンナを手に入れることはうらなり君、ひいては山嵐との力比べに勝つということなのだ。また、小鈴という赤シャツの馴染みの芸者が登場するが、彼女も赤シャツの「力の象徴」であるといえる。なぜなら彼女は「一番若くて一番綺麗」だと作中で形容されており、「価値」が高いからだ。

 当時(明治三十年代後半頃)といえば、「封建的家族制度や良妻賢母主義のもとで、女性の活動は大きく制限されていた」(『新詳日本史』浜島書店二〇〇三・一〇)時代だから、マドンナや小鈴のように女性が男性の「力の象徴」になりえてしまったのだろうか。

 同時代の尾崎紅葉の未完の大作『金色夜叉』(新潮文庫一九六九・一一)には以下の記述がある。

「才だにあらば男立身は思いのままなるごとく、女は色をもて富貴を得べしと信じたり」。これは物語のヒロインである宮の考えであり、当時の女性たちにとっての立身出世の道とは学問のあるもの、財産を持つものの妻になることと同義であったことを表している。

 以上のような時代背景をおさえたうえで、現代に生きる女性たちは明治期の当作品で描かれる女性たちと比べてどのように捉えられているのかを考えていく。まず、現代とはフェミニズム思想やジェンダーフリーの概念がもはや定着した時代だといえる。大臣が「女性は子供を産む機械」などと発言をしたら即刻辞職を余儀なくされるといった事例や、「保母」を「保育士」、「スチュワーデス」を「フィライトアテンダント」とジェンター的な呼び方を改めるという事例によく現れているように、露骨な女性蔑視の表現・差別的な表現は排除されてきている。だから『坊っちゃん』にでてくる表現に眉をひそめる現代人は多いであろう。

 また、女性の多様化した就職先や雇用形態、ドメスティック・バイオレンスやセクハラ問題の顕在化、女性の政治参加が進んでいることなど様々な面での改変が進み、メディアでもそれらの動きは肯定的にわれわれに伝えられている。よって一見するとフェミニズム思想やジェンダーフリーの概念を社会において実現させることをわれわれは目標とし、それはよいことであるという共通概念があるように感じられる。

 しかし本当にわれわれはジェンダーフリー化した社会の実現へと近づいているのだろうか。たとえ改変はされたとしても社会構造自体が変わることはないのではないか。依然として私たちは男性中心的社会のなかで生きているのではないだろうか。

 社会学の言葉で「見せびらかし効果」と呼ばれるものがある。マドンナや小鈴が赤シャツの「力の象徴」となっていると先に述べたが、この意見と「見せびらかし効果」の意味は一致する。石原千秋は「見せびらかし効果」を次のように説明している。

 たとえば…多くの女性と交際したり、美人の女性を妻に迎えることを言う。これは、非常にわかりやすい形で行われている。プロ野球選手やサッカー選手と「女子アナ」との結婚だ。一つには美人だから、もう一つには有名だから、「見せびらかし効果」が大きい。

 これが男の場合の「見せびらかし効果」だが、女性の立場としては、自分の美しさを社会に誇示するために、社会的にステータスがあり、そして富のある男性を選ぶ形を取る。自分の美貌と男性の社会的地位や富とを引き換えにするのである。(『謎とき 村上春樹』光文社新書二〇〇七・十二)。

マドンナや小鈴の『坊っちゃん』での扱われ方はまさに「女子アナ」のそれであろう。

 以上から、時代背景は違っても、女性が男性の社会的地位や富を誇示するためのツールになってしまうことは明治期においても現代においても同じであるとわかる。

 結婚という観念から現代(二〇〇七年四月)の実例をあげる。女優の藤原紀香さんとお笑い芸人の陣内智則さんの結婚である。二人の結婚は「格差婚」と揶揄され、世間から大変注目を浴びた。というのも。紀香さんのほうが智則さんよりも収入がはるかに上回っており、社会的認知度なども高かったためだ。話題になるということはそれが普通ではないということであって、逆説的にこの例は、妻となる女性は男性よりも社会的に低い位置にいるのが当然というわれわれの認識を浮き彫りにしたといえるのではないか。

 先にあげた『金色夜叉』にも次のような記述がある。

 彼の美しさを以てしてわずかに箇程の資産を継ぎ、類多き学士風情を夫に有たんは決して彼が所望の絶頂にはあらざりき。

 彼の栄誉ある地位は、学士を婿にして鴨澤の後を継ぐの比にはあらざらんをと…

これは宮(=彼)の自分の美しさと一介の学生で物語のヒーロー役である間一の将来性などとを比較して、自分の美しさのほうが勝っているという自意識を表している。この意識の意味するところは、前述した「見せびらかし効果」の女性の立場からの説明とぴたりとあてはまる。

 そして、同じことが美しいマドンナと没落してしまったうらなり君の関係でもいえる。つまり、結婚において男性は女性よりも優位な立場でなければいけないという意識は明治期と現在に共通したものであるのだ。

 『坊っちゃん』における女性観と当時の女性たちがどのように捉えられていたのかを考え、現代の女性たちと比べたことで、男性中心的な社会とそれを無意識的に享受しているわれわれの姿が明らかになったのではないだろうか。そして同時に教科書的なフェミニズムやジェンダーフリーの考えを、われわれは安易に受け入れているようである。

 時代の推移とともに、社会も大きく変革していく。私達の意識はより新しいもの、よりよさそうなものに追従しがちである。しかしそれではたたメディアに踊らされているだけ、背景化したイデオロギーに飲み込まれているだけの状態になりかねない。

 ただ時代の動きに流されるままになるのではなく、過去を振り返りながら対象を把握し問題を顕在化させることが今のわれわれに求められる態度なのでないか。

教学社 大学入試シリーズ 早稲田大学 2010年度版 掲載

在学生リポート より

 

石原先生に学ぼう!      

「教養としての大学受験国語」などの著者としても有名な石原千秋教授の授業が大変おもしろいのでおすすめです。毎回、先生の毒舌が冴えます。とくに「現代小説の楽しみ」という村上春樹氏の作品を扱う授業は他学部生がモグリで受講しにくるくらい人気があり、内容も充実しています。また、教育に対して真摯な姿勢をとっておられる先生なので、学生も「勉強しよう!」という気になります。もちろんそのぶん授業態度や課題に対しては比較的厳しいですが、私たち学生が得られるものは大きいです。

 

キャンパス案内-教育学部

 

教育学部棟である16号館は、正門から徒歩5分ほどかかるところにあります。早稲田キャンパスのはずれにあると言ってもいいでしょう(笑)。しかし早稲田キャンパスのなかで一番高田馬場駅寄りにあるので、駅から徒歩15分くらいで行き来できます。遅刻しそうな時は、東京メトロ東西線を使って早稲田駅で降りるよりもバスを使って西早稲田のバス停で降りることをおすすめします。

 

 

 

英字新聞を作る意味とは何か

 

英字新聞を作る意味とは何か、考えてみたのですが、どのような切り口で考えていけばいいのかよくわかりません。したがって、とりあえず徒然なるままに書き付けていこうと思います。ごめんなさい。

まず、なんで英字をつくるのかといったら、やりたいから!であっていい、というかあるべきだと考えます。私達がやっていることはあくまでサークル活動なのだから、各各が興味のあるテーマを選べばいいのだと思います。また、英字に携わるようになるきっかけが有名人に会いたいだとか英語の勉強がしたいだとか、入特は親に見せられないから英字やっとこうだとかでも問題ないでしょう。

でもそれらだけではなくて、もちろん読者のことを意識しなければなりません。でも読者って誰なのでしょうか。そして読者は何を求めているのでしょうか。

早稲田魂の場合だと、読者は受験生と明確だから、作るほうはブレないんじゃないかと感じます。対して英字の読者は…学生でしょうか。でもその中には留学生も含まれていて、勝手も違ってくるし、特定しづらいと思います。さらに内容に関しても、早稲田魂は受験生を啓発するという確固とした目的があること、またそこに商品価値があることを作る側も読む側も承知しています。しかし英字の場合は何を伝えたいのかは記事によって、人によって違ってくるし、そもそもフリーペーパーであるから商品としての価値を追求する必要もありません。つまり英字って読者を意識するっていうことが難しいのだと思います。

そこで私もわからないなりに考えました。えっとまず、豊富にある情報のなかから英字を選んで読んでもらうためには、既存の媒体の二番煎じじゃダメなんじゃないでしょうか。記事を書くときには常に他の媒体との差異化、私達にしか書けないものを追求すべきです。

たとえば何か社会問題を扱ったとして、その問題に関する専門家に話を聞きに行っても、その人書いている本を読めばいいじゃんって話になってしまうと思います。あるいは他のメディアがもう取り扱ってしまっているとか。そうなったらプロのジャーナリストにはかなわないでしょう。そこで私達が意識したいのが、学生ジャーナリズムだからこそできることであると考えます。

具体的にいうと、春号特集「学生街」みたいなのです。特集ライターを経験して、学生である私達がわざわざ発信する情報はこんな感じであるべきなんじゃないかなと感じました。というのも、そもそもテーマが学生に関することだからプロのジャーナリズムにできない、学生の視点に寄り添うということができました。また、リンクスとの差異化とかも常に意識していて、他とは違うものをつくることができました。

個人企画でも、ライターのやりたことをもちろん尊重するけど、学生の視点を意識しなくてはと思います。編集部として、そういう記事が作れるように誘っていきたいなあと考えています。たとえば日本人学生の読者は多分、英字を辞書を手繰りながら読まないですよね。だから大学受験にはでないような専門用語などはできるだけ使用しないようにしたい。使用する場合は、文脈から類推できそうなものはいいとしても、注をつけたい。これは特集記事にも言えることなんですが。

 

 

金井寅之助『「忍び扇の長歌」の背景』のまとめ

1E08E021-4 詩織

「忍び扇の長歌」

…『西鶴諸国はなし』所収

…中小姓位の、女には好かれそうにないような武士が、さる大名の姪である美しい姫君を慕って姫の住む奥向に奉公するようになる。縁とは不思議なもので、姫も男を慕うようになる。ある日姫は、召使を使って黒骨の扇を男の長屋の窓から投げ入れさせた。今宵男装をして忍ぶゆえ、連れて立ち退くようにと長歌で書かれている。男は喜んで、仰せのままに姫を連れて御門を紛れ出で、裏借家で世帯を持つこととなった。しかしやがて大名家に尋ね出だされて、男は処刑され、姫は一室に閉じ込められ自害をすすめられる。けれども姫は、幾度すすめられても「女の一生に一人の男を持つのに咎められる筋合いはない。夫ある身で他に男を持ったり、夫の死後に再縁するのは不義といえようが、私の場合は不義ではない。身分の卑しいものと縁を結ぶことは昔からその例もある。あの男を殺すとは可哀そうなことをした。」と言って、従わない。姫は尼となり、男の跡を弔った。以上が「忍び扇の長歌」の大まかな内容である。

 

評価・解釈

・古い形骸化した封建道徳への反駁と、社会で生きる上での合理主義・人間主義の限界が書かれている

・反封建的な町人的思考を封建的モラルの温床である武家社会に持ち込んだ

・奇談的色合いを持つ

・武家が封建的身分制度を維持し、政治的支配を持続するには、婚姻の徹底的な管理が必要→姫君は基本的人権を放棄したということ

・厳格な身分制度を必要としない町人に、人情を無視する厳重な婚姻管理はない→町人階級の結婚のだらしなさへの反駁が書かれている

・男が処断されるのは当然だが、女に自殺を迫るのは酷過ぎる

 

説話と現実との対応

・「忍び扇の長歌」によく似た事件が『柏原藩史』天和元年の項に見られる

・この事件に基づいて西鶴は「忍び扇の長歌」を書いたのかもしれない

・この事件と『柏原藩史』の間にも、藩の日記や多くの実録物が介在する

・それらの実録と「忍び扇の長歌」を比較してみると、事実と異なる点が多くあるために、天和元年の事件が素材となっていることに違和感を覚える

・しかしそれは西鶴の作意によるものであり、また、あまりにもモデルを忠実に書くことを憚ったのであろう

・西鶴の住んでいた大阪は、実録物の事件と関係の深い場所であり、さらには諸大名の蔵屋敷もありニュースも集めやすかったため、当然事件のことは西鶴の耳に入ったはずである

 

「忍び扇の長歌」のレトリック・主張

・作中に書かれる人物は、実際のモデルから離れてはいるが、話を面白くし、美化することに成功している(縁は不思議なものという男女の愛情の神秘さを強調している)

・「忍び扇」は、「忍び逢ふ」を言いかけて、そのために送る扇の意味か

・西鶴は上層階級に再婚がないことを讃えるが、実際は多かった→そのことをわざと強調した

・姫の抗議=武士階級と庶民階級両方にたいするものであり、ただ「世の定めごと」をはねのけ女性としての真実を求めているだけ=西鶴の女性に要求したい理想

・自害を迫られても応ぜず、「世の定めごと」を批判して、その主張を貫いて尼になるあたりは西鶴の素材の処理の一つの方法であり、実録はここで文学となるのである

・世の作法と愛情の間の食い違いから起こる悲劇と、そういう悲劇を起こす人間の心の動きの抒情に西鶴の作意がある

・しかし西鶴はこのくいちがいへの興味を強調しすぎている(くいちがいの必然性を理解し、自己犠牲的にそれに従順し、そこで葛藤するのもまた人情だから)

・そういう葛藤が書かれていない点で、浅さを感じさせるが、それは極めての短編だからであり、くいちがいの心理の強調のためでもあった

 

西鶴の小説の性格

・西鶴の小説の多くは短編であり、短編では多くくいちがいの心理の面白さを狙う

・新聞雑誌のない当時において、事実談にもとづいて作られた西鶴の小説は庶民の間で喜ばれ迎えられた

・西鶴の小説には、人の心の動きの微妙なところを捉えた、西鶴独特の現実の新解釈が加わっている

・単なる語呂合わせ、駄洒落、見立てもあるが、それ以上に、人の心の機微を掴んだ、抒情性ともいえるものがある

・この抒情性こそが、西鶴と西鶴以前の作品とを区別するものであり、西鶴の作品が真実の文学たりえる由縁である

 

 

 

 

詩織  2010/7/10 AM8:34   twitter

 

昨日美容院いった!普段は女性誌を読まないが切ってる間は読む!おもしろいよね!表現が超自由だよね 尊敬に値する!「モテ」っていう単語がたくさん出てくるけど、世の女の子は常日頃モテについて考えてるの?んなことないよねきっと^p^

詩織  2010/7/15 AM6:39  twitter

 

私の高校時代のかわいい女友達らと共同生活を送る夢を見た。鶏肉を調理して皆で貪り食った。猫をたくさん飼ってる猫好きの和尚さんに技をかけられる。生活は結構厳しくて、たくさん泣いた。

 

 

合格体験記

 

                教育学部 詩織

 

 高校三年の九月。私は慢性的な眠気と戦っていた。

 その眠気は、昨日の夜 遅くまで勉強していただ

 とか、進路のことが不安で夜上手く眠れないだと

 かいう理由からくるものではなかった。当時飲ん

 でいた精神安定剤の副作用が原因だった。

 受験生にとって非常に大事な時期に、私はいわゆる欝状態に陥ってしまった。

 鬱になる前までは私は自分なりに一生懸命受験勉強に取り組んでいた。高校

 一年生のころから東京大学現役合格を目指す、と心に決めていた。数学が他

 教科に比べてとびぬけて苦手だったので、数学に一番時間をかけて学習に取

 り組んでいた。でも鬱病になってからは勉強なんてとてもできることではな

 かった。それまでは毎日通っていた予備校にも行くことができなくなった。

 でも学校にだけはなんとか行こうとした。家にいても気が滅入るだけだし、

 友達にも会える。しかしそう思ってもそれは当時の私にとっては大変なこと

 だった。電車に乗るのが怖かった。授業は眠かったし内容も全く理解できな

 かった。友達は皆受験の話をしていたし、多少ピリピリしていた。

 学校で模試が行われたが、受けることができなかった。そして、過食嘔吐を

 毎日繰り返した。体重が1ヶ月で10キロも増えた。こんなはずじゃなかっ

 た。こんなの自分じゃない。一日一日が本当に辛くて、ただ現実から逃げた

 いからだとわかってはいても、死んでしまいたかった。実際に何度も死のう

 とした。けれども結局怖くてできなかった。

 そんな状態であったから、東京大学受験は無理だという事実をうけいれざる

 えなかった。浪人は家庭の経済状況から考えても自分の精神状態から考えて

 も不可能であったし、その年のセンター試験にはどうやっても勉強が間にあ

 わないだろうということもわかった。しかし、東京大学に行くことを高校生

 活を通してずっと目標にしてきた私にとって、その事実を受け入れることは

 今まで自分がやってきたことを全否定することのように感じられた。一緒に

 バンドをやった仲間のことを思った。私はそのバンドを、勉強を優先させた

 いからといって高校三年生の秋に開催される文化祭に出ずにやめてしまった。

 いつも他人の意見ばかり尊重して、自分の要求などは口にしない友達が「詩

 織と一緒じゃなきゃバンドを続けたくない」と泣きながら言ってくれたのに

 その言葉に対して、私は何も言えなかった。そんなことを後悔したりしなが

 ら、自分を傷つけること以外何もできずに九月、十月と時が失われていった。

 十一月に入って、少しずつではあるけれども、現実の状況に目を向けること

 ができるようになってきた。私大受験にきりかえなければいけない。私は

 散々苦労した数学と、世界史も捨てて、日本史で受験することにきめた。

 教科書レベルの理解度しかなかったし、進度も古代でとまっていた。これか

 ら学ばなくてはいけない範囲の広さにひるみはしたが、少しずつ勉強を始め

 ていった。十二月に入って、予備校にも顔をだせるようにまでなった。冬期

 講習からは、授業に出ることができるようにもなった。

 だんだん現実的なものごとに目をむけることができるようになった私は、

 早稲田大学と慶応大学の情報を集めだした。自分の励みになる、新たな目標

 を設定する必要があったからだ。明確なイメージがほしかった。

 そんな時に読んだのは魂 ’08だった。内容が面白くて読んでいるう

 ちに、早稲田大学に強く魅かれるようになった。そこからは早大生のパワー

 のうようなものが感じられた。「絶対、早稲田にいく」気づけば、家族にそ

 う宣言していた。

 目標が定まってからは、鬱になる以前のように長時間でも集中して勉強がで

 きるようになった。極端にひどく落ち込むこともなくなった。絶対に間に合

 わないと思われた日本史もなんとかなりそうだった。

 ついに入試が始まった。調子が戻ったとはいえ、不安でしょうがなかった。

 模試の判定もない。赤本だってほとんど手をつけることができなかった。気

 持ちひとつできたようなものだった。こんな状態で受かるはずがない。そん

 な思いにさいなまれ、途中で何度も諦めそうになった。けれども、なにがな

 んでも早稲田に入りたいという思いを糧に、入試をのりきった。

 二月二十六日、教育学部の合格発表の日。この日の、あの瞬間のことを、私

 は一生忘れないと思う。「おめでとうございます、合格です。」

 人生何が起こるかわからない、ということを受験を通じて私は感じた。一度

 は絶望を見た。あの時のことを思い出すと、どうしようもなく辛い気持ちに

 なるし、不本意な気持ちにだってなる。けれど私はこうして、不安定な時期 

 に希望をくれた雑誌の合格体験記を書いている。本当に、自分にとってなに

 がよかったかなんて誰にもわからないと思う。

 

 

 

 

 

 

そういえば私就活生なんだな(^∇^)今日ぐかむ読んでみんながラスゲのお稽古がんばってるんだから私もがんばろう就活と思ったわけだがなにをがんばっていのかわからない  (^∇^)                          

英字編集部立候補レジュメ

しおり

志望動機

不信任になったのに、どうして今日またこの場にいるのかといいますと、英字編集部になりたいからです。英字編集部としてSさんとHさんとSKとあと皆様と一緒に、英字つくりたいです。

とくにSさんには私が英字バージンだった頃からお世話になっており、その仕事ぶりに勝手に尊敬の念をいだいておりました。すごく楽しくやらせていただきました。だからSさんに「一緒に英字やりませんか」と言っていただけたのは大変光栄なことで、そらあもうやる気まんまんになりました。(Kか!)

しかし前回の選挙の私の演説を聴いて、「やる気が全く感じられなかった」というご意見が多数よせられました。えー!そんなことないです。華の大学二年生の一年間を英字編集部として過ごす覚悟は決めていて、もちろん不安もありましたがものすごくわくわくしていたし、一年生を迎えた自分をシュミレートしたりしていました。つまりやる気まんまんでした。

そしてもうひとつ、私が立候補するにいたった理由は、他に英字編集部になる人がいないという事実です。Mがやればいいじゃんと思う方はたくさんいるでしょう。しかし彼女は広告部長です。かけもちは大変です。私がやったほうがいいと思います。私はいやいややるわけじゃありません!

同期のためです!っていうのは、立候補することの理由ではありますが、というかきっかけです。

 

入特との関わり

*信任になったら→広告部員になってMと助け合いながらがんばるか、販売部会計になってKを支えるかどちらか。

*不信任になったら→ウェブ部員になってKIの代返係りを務める。

選挙の結果によって、入特に対するモチベーションが変わります。

 

どんな英字にしたいか

先週の演説で話したとおりです。学生だからこそできるやり方でつくりたいです。もっと言えばGだからこそ作れるものにしたいです。

それもなんですが、英字をつくる過程も大事にしたいです。協力し合って楽しくやりたいです。楽しくって言うのは、無理をせず、ふざけあいながら、遊び半分で、とかじゃないです。一生懸命やるから楽しいんだと思います。

 

最後に

もしかしたら先週の演説で話した内容と矛盾する点があるかもしれません。けどものごとには様々な一面があって、とくに人の気持ちには両極端なものが一緒になって存在していると思います。だから矛盾があってもしょうがないと考えますすみません。前回はわりと消極的な気持ちのほうに焦点を当てましたが今回は違う風にしてみました。よろしくお願いします!

詩織              2010/7/25 PM10:20  twitter

 

あ、流れに乗って私の彼氏も紹介します!髪の毛はサラサラストレート明るい茶色で髪型は長髪てほどではないが長め!素敵!色白で華奢で背がそんなに高くない!可愛い!いつも笑みをたたえていて笑い上戸でけど怒ると怖い!美しい!優しくて周りを助けてくれるけど彼自身は繊細!実際会ったことはまだない

 

詩織  2010/8/8 PM10:09  twitter

 

 

兄弟は弟が一人いる!高3!かっこよくてスタイルよくてスポーツマンでツンデレ!ちょーかわいい大好き!今は私と同じ大学に入るべく受験勉強に勤しんでおられる!そーちゃんって呼んでる!でもうちはハゲの家系なので将来性は皆無!

 

 

 

『英語の感覚日本語の感覚』第七章「ことばの限界を超えて」を読んでの感想

 

教育学部国語国文学科二年 詩織

 

 第七章は、ことばとは何であるのかを、ウィトゲンシュタインやヤコブソン、チェコフスキーなどからの引用や、さまざまな場面においてことばが果たしうる役割の説明を用いて論じている。

 ことばとは、コミュニケーションのための手段であるだけではなく、私たちの思考の枠組みを作り上げ、私たちの世界を規定するものなのだということが、この章を読んだことによってよく分かった。

 とくに、「<他者>としての言語」という言説を読んだことによって、言語についての理解が深まった。D. Cameronという名のフェミニストが”Sometimes when I am taking to people I really feel at a loss for words. というある女性の手記を引用と、D. Spenderという別のフェミニストが「一個の人間として社会に受け入れてもらうためには、そこで用いられている言語を身につけなくてはならない。ところがその言語は本来<家父長的>(patriarchal)―つまり、男性中心的―なイデオロギーを具現化したものであり、それを身につけさせられることによって、自ら自分自身の真に自由なものの見方、捉え方が制約されてしまう」という指摘によって、借り物としての言語の限界と、家父長的である言語の制約に気づいた。

さらに、D. Spenderの論には「そういう状況を打破するためには、言語というものを見直し、再構築することが必要なのではないか」とある。たしかに、我々は言語というものの存在に対する意識が希薄であるのかもしれない。

またこの章では、男性と女性という二項対立以外にも、大人と子供という二項対立の観点からも言語についての考察を行っている。児童文学者であったチェコフスキーの”Mommie, mommie, the locomotive is talking a bath!” などの例はとても興味深いと思った。大人の言葉による制約にまだとらわれていない子供たちは、”a linguistic genius” なのである。

子どもたちが「ことばの天才」であるという意見を読んで、私は「女性もことばをつくることに長けているのではないか」という考えに思い至った。たとえば女性誌などでは、「甘辛MIX」や「ゆるふわパーマ」、「チープリコーデ」などという、言語の規定にとらわれない非常に自由な表現が使われている。

子どもたちが大人を基準とした言語の制約から解放されているのと同じように、女性も男性を基準とした言語からの解放を試みているのではないか。

日本語における女性独特の言語表現を、わたしはたくさん知っている。英語における女性による女性のためのことばというものがあるのか、そしてそれはどういうものなのか、知りたいと思った。

早稲田体験記

                            詩織

   ずいぶん遠いところに来てしまったなあ…高田馬場駅のプラットホームにて、一晩中飲み明かした後の、寝不足と二日酔いでうまく働いてくれない頭で考える。えば本当に、かつて思い描いていた憧れの大学生活とは遠く離れたところにいるな と感じる。

 メディアが発信しているような、可愛くてキラキラしていて、友達がたくさんいて、毎日予定がたくさん入っていて…といった感じの女子大生に、自分もなるのだろうと と思い込んでいたのは高校生の頃。こういうのがいいんだよと皆が言うから、自分もこういう風になりたいと思っていた。好むと好まざるにかかわらず、そんな思考回路で私の頭は動いていた。しかし、思い描く理想像と現実の自分自身の間にあるズレと、そこから生まれ生きにくさのようなものを感じ始めたのも高校生の頃だった。知らず知らずのうちに、鬱憤とかストレスだとかを溜めこんでいたようだった。

 イイ女は、イイ下着から。

 イケメンでお金持ちな年上の彼をGETする方法!

 合コンでウケる服はコレ☆

 この夏のイチオシのデートスポットうんぬん…

 

**************************************

 流行のブランドのバックを持って、髪の毛をくるくるに巻いて、およそ女子大生に求められる要素に関してはしっかりと準備をして、早稲田大学の入学式を迎えた。

誘われるままに、サークルの新歓イベントに参加した。適当にやりすごそうと決めていたはずだった。しかし、そこには、今まで見たことがないような、いろいろな種類の人間との出会いがあった。刺激的で衝撃的で破壊的で魅力的な出会いだった。今まで私が捕らわれてきた常識や価値観を覆すような。

私は今までよっぽどがんじがらめにされてきたのかなあ。もっと自分をさらけ出してもいいのかなあ。わくわくした。

**************************************

 

 入学時に買ってもらったあのバックは、本を詰め込みすぎて持ち手がちぎれそうになってしまっていることに気付く。今までの自分、今の自分に思いを馳せる。

ずいぶん遠いところに来てしまったな…。

 パンツは100円ショップでしか買わなくなったし、

 彼氏は文学オタクで、デートと言えば古本屋にしか行ったことないし、

 飲み会ではしょっちゅう服をだめにしてしまうし、

 合コンに行っても、相手の男の子を潰してしまうし…

でも、もう一度大学選びからやり直せるとしても、私は今の道を、早稲田を、

また 選んでしまうだろう。

電車が来た。

 帰りたくないなあ、と思ってしまう。

 今の生活に満足しているとか、全面的に毎日が充実してるとかではないんだけ

 ど、なんだかんだ言っても、楽しいし、大好きなんだよね。

 

 

 

馬場のばんからで始めて食べた!1人ラーメンっておいしいめっちゃスープ油っこかったけど飲み干しちゃった…あときざみニンニクが大量に入ってて、今私の口はすごく臭い 

 

                                             

  

中国文学演習Ⅱ  

  

堀先生

 

 高校生の頃にはほとんど漢文の勉強をしていなかった私にとって、この授業の内容は

かなり難しいものでした。しかし、毎回授業で先生が話してくださる中国文学にまつわる豆知識やエピソードなどはとても面白く、初めて中国文学に興味を持つことができました。また教科書の内容も面白かったです。ありがとうございました。

 

テストできなくて申し訳ございません。 (2009年 7月27日) 

 

 

        

「常夏」という語から与えられるイメージを探る

 

教育学部国語国文学科一年 詩織

学籍番号 IE08E0214

 

 序論 

このレポートでは「常夏」という季語に焦点を当てる。主に八大集に載っている和歌を参考にする。

時系列をおいながらそれらの和歌を検証・比較することで「常夏」という語から与えられるイメージがどのようなものであったかを探ることを本稿の目的とする。

 

 「常夏」とは

『スーパー大辞林』によると、

① 一年中いつでも夏のような気候であること

② ナデシコの古名。

③ 源氏物語の巻名。第二十六帖。

などとある。

また、古語の「常夏に」には『旺文社古語辞典』によると、

「夏の間じゅう。また、いつもの夏も。(一説に、いつも変わらずに、の意味とも)。」とある。

 

「常夏」と聞くと、一年中夏のハワイを連想する人が多いのではないか。そして常夏の花、といえば ハイビスカスが想起されるであろうが、日本の常夏の花、といえばナデシコと古来よりきまっている。

なぜならナデシコの花の盛りが春から夏にいたるものであるためだ。また、大和撫子という言葉が日本女性を表すことからわかるように、淡紅色のナデシコの花は清楚で可憐、といったイメージを持つ。 季語では夏である。

 

『源氏物語』における「常夏」はどのような意味を持ち、位置づけられているのであろうか。

「常夏」は、『源氏物語』五十四帖のなかの第二十六帖の巻名である。この巻の中に光源氏と玉鬘がナデシコを愛でながら和歌を詠む場面があり、そこから「常夏」という巻名がついた。

 

「常夏」の巻の内容を要約する。光源氏三十六歳の頃、盛夏の六条院で、源氏は夕霧を訪ねてきた内 大臣家の子息たちに最近新しく迎えられた落胤の姫君(近江の君)のことを尋ねる。玉鬘を探していた内大臣だったが、代わりに見つかったという近江の君の芳からぬ噂を源氏も知っており、夕霧と雲居の雁の仲を許さない不快も手伝って痛烈に皮肉った。二人の不仲を聞いて、いつになったら実父に会える のか思い悩む板ばさみの玉鬘に、和琴を教えながらますます惹かれる源氏だった。

 

一方、源氏の皮肉を聞いた内大臣も激怒。雲居の雁のところに出向いて説教し、またあまりに姫君らしくない近江の君の処遇に思い悩む。

そこで長女弘徽殿の元に行儀見習いへ出すことを決めたが、女御へ贈られた文も和歌も支離滅裂な出来で、女房たちの失笑を買うのだった。

 

また、『源氏物語』の中にはもうひとつ「常夏」に関するエピソードがある。

 

『源氏物語』第二帖「帚木」では、有名な「雨夜の品定め」が語られる。「雨夜の品定め」で語られる話には、今後の物語の展開に大きく関わってくるものが含まれる。それが、頭の中将(当時は小将)の「常夏の女」の話である。その女は頭の中将の側室という立場にあったために、本妻から嫌がらせをうけるようになる。頭の中将との間に一女(後の玉鬘)をもうけるが、その女は本妻の嫉妬を恐れて姿を消してしまう。その後は市井にまぎれて暮らす。

 

また後にこの女は光源氏と出会い、恋に落ちる。儚げながら可憐で朗らかな性格の女に光源氏はのめりこむ。しかしそんな源氏の様を見て嫉妬に狂った六条御息所の怨念によって女は取り殺されてしまう。

 

以上の二つのエピソードの接点は、「常夏の女」の娘の玉鬘、すなわち「撫でし子」であることがわかる。常夏とナデシコの関係をこうも大きな時系列で扱う紫式部の才覚には脱帽である。

 

 考察

塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹と我が寝るとこ夏の花

(『古今集』夏・凡河内躬恆)

「隣より常夏の花を乞ひにおこせたりければ、惜しみてこの歌を詠みて遣はしける」という詞書を伴っているが、この歌を解釈するには「撫子=常夏」の知識が必須となる。 「塵をだに据ゑじとぞ思ふ」ほど「撫でし子」が大切だといっているのである。

「妹と我が寝(ぬ)る床」と「常夏」を掛けている。

 

あな恋し今も見てしが山がつの垣ほに咲ける大和撫子

(『古今集』恋四・よみ人しらず)

この歌に基づいて「山がつの垣は荒るとも折々にあはれをかけよ撫子の花」(『源氏物語』帚木・夕顔 が撫子の花に添えて中将に贈った歌)

「山がつの垣ほに生ひし撫子のもとの根ざしを誰か尋ねむ」(『源氏物語』常夏・夕顔の遺児玉蔓から源氏への返歌)と紫式部は例の母娘の物語を膨らませる手腕を見せている。

 

双葉より我がしめ結ひし撫子の花の盛りを人に折らすな(『後撰集』夏・よみ人しらず)

「撫子」に愛する女性を投影している。

「しめ結ひ(領め結ひ・標め結ひ)」とは領有・立入禁止を示すため縄を張り渡すことであるが、転じて夫婦仲であることを宣言する意にも用いられる語である。

初句に「双葉より」とあることから、少女期からはぐくみ育てつつ男女仲に持ち込んだ女性であることがわかる。だとすれば、結句「人に折らすな」という強い口調の禁止も頷ける、と言えるのではないか。

 

常夏の花をだに見ばことなしに過ぐす月日も短かりなん(『後撰集』夏・よみ人しらず)

これは「常夏」として詠まれている。

「事無し」および「常夏」という表現とはうらはらに、「撫でし子」の連想から焦燥感のようなものが 湧き上がる。そのため、「過ぐす月日も短かりなん」という確信に近い推量が導かれることになるので あろう。

 

常夏に思ひそめてば人知れぬ心のほどは色に見えなん(『後撰集』夏・よみ人しらず)

「人知れぬ心のほどは」とあることからこれは恋心を詠んでいるとわかる。その想いが「常夏」だといっているのである。これで「撫子」ではなく「常夏」がどうして選ばれたかの説明がつく。

結果としてそれが「色に見えなん」と相手に告げたのである。

「色」を花の色という意味ではなく顔色という意味で使っているのである。

 

色といへば濃きも薄きも頼まれず大和撫子散る世なしやは(『後撰集』夏・よみ人しらず)

この歌は先に挙げた歌の「返し」として掲げられているものである。表現から、こちらが女の作った歌だとわかる。贈歌に於ける「常夏」を敢えて「大和撫子」に置き換えている。つまりそれは相手の言う‛常夏の想い,を認めない意思表示である。相手が心変わりする可能性を指摘し、「頼まれず」と拒絶 しているのである。

「濃きも薄きも」はやはり花の色・想いの深さ双方について言っていて、贈歌の「ほど(程)」を意図 的に「薄き」のほうへ拡大解釈している。捉えて初二句の表現がなされていることを附言しておきましょう。

 

いづこにも咲きはすらめど我が宿の大和撫子誰に見せまし (『捨遺集』夏・伊勢)

「我が宿の大和撫子」は格別なものだという自負が感じられる。躊躇の意思を見せながら、「人のがり」へ贈り届けた。

 

しばしだに蔭に隠れぬ時はなほうなだれぬべき撫子の花 (『捨遺集』雑春・贈皇太后宮懐子)

母がそばにいない哀しみを「蔭に隠れぬ時」「うなだれぬべき」と表現したもの。すなわち、「撫子の花」を自らになぞらえて詠んでいる。

 

思ひ知る人に見せばや夜もすがら我がとこ夏におきゐたる露 (『捨遺集』恋三・清原元輔)

「我がとこ夏に」は「我が床」「常夏に」の、「おきゐたる」「起き居たる」「置きゐたる」の、それぞれ懸詞となっている。よって[起きてじっとしている我が床に置いている露=涙]という意味を籠めている。

 

いかならん今宵の雨に常夏の今朝だに露の重げなりつる(『後捨遺集』夏・能因法師)

[今朝でさえ露が重そうだったのに…まして今夜の雨でどうなってしまうのだろう]と思い遣っている。

撫子はうなだれがちな花、というイメージが共有されていたということがわかる。

 

来て見よと妹が家路に告げやらん我がひとり寝るとこ夏の花 (『後捨遺集』夏・曾穪好忠)

躬恆歌「妹と我が寝るとこ夏の花」を「我がひとり寝るとこ夏の花」(ともに「寝る床」「常夏」の懸詞)と転じさせ、それがせつないので「来て見よと妹が家路に告げやらん」という意味である。

上三句の表現から、実際に女性のもとへ贈る恋歌ではなく、あくまで常夏から発想した観念世界での理知的遊びであることが解る。

 

薄く濃く垣穂に匂ふ撫子の花の色にぞ露も置きける (『詞花集』夏・藤原經衡)

「撫子の花を見て詠める」との詞書から、実景詠であることがわかる。

「匂ふ」は[目に染みる]の意味に用いられている。

「薄く濃く…花の色にぞ露も置きける」との[露も花の色に従って薄く濃くグラデーションを成している] とは、すばらしい発見である。

 

種蒔きし我が撫子の花盛り幾朝露のおきて見ゆらん (『詞花集』夏・藤原顯季)

我が子の主催する歌合に出詠し、上三句にはその歓びを表現している。

詞書よりこの歌は男子を「撫子」と表現する稀な例である。

 

ひとり寝る宿の常夏朝な朝な涙の露に濡れぬ日ぞなき(『新古今集』雑上・花山院御製)

「ひとり寝(ぬ)る床」→「常夏」と掛けた上で、朝ごとに露(涙)に濡れることから自分と常夏とを重ね合わせて詠まれている。

 

以上挙げた歌から、「常夏=ナデシコ=撫でし子」というイメージはよく使われている、そして特に愛おしいものを表すときに使われているということがわかる。